★⑥ドラムを始める~好きな事に出会う★

 運動も出来なくなったし(眼の病氣で)、建築士も諦めて、

やることがなくなったのですが、

 

これは今までの考え方が良い意味で癖になっているのか、

出来なくなったらその中で何が出来るか、という思考になっています。

 

だからこの時も、文化系で體を動かせるものはないかな、と思っていたところ、

軽音の友達から誘われてドラムをする事にしました。

 

やりたいことがあるって、やっぱり良いですよね。

ドラムに出会って、勿論学校は休学しながら軽音部には所属することにしました。

その後、半年くらいで軽音部を出て、友達から地元のライブハウスの店長さんと組むバンドに誘われ

たので加入することにしました。

 

下手くそながら、オリジナル曲のバンドでしたので、自分でドラムを考えて叩くのは

楽しかったですね。

 

そして1年くらい経って、店長さんが「わせちゃん、名古屋でやって行けるわ」

と言ってくれたので、若気の至りでしょう(笑)、、真に受けて早速名古屋でバンドを

見つける行動に移りました。

 

名古屋で加入したバンドはプロを目指していたので、僕にはレベルが高過ぎましたが、

何とか徹夜で練習したりしてくらいついていました。

 

自主製作ですが、スタジオで音を録音して音源もつくりましたね。

下手なのですが後で補修が利くので、完成したものを聴くと自分の演奏とは

思えないものになっていました(笑)

 

そして、1年経った時にベースの人が初めて口を利いてくれて「上手くなったな」と

褒めてくれました。

 

その後、人間不信に陥ってる僕は一方的に辞めてしまうのですが(ごめんなさい!)、

その後も常に2つ3つはバンドを掛け持ちして、30歳の時に體を壊すまで

やっていました。

 

10代の終わりから20代は、病氣のこと、父親からは以前バカにされていたことで、

常に悔しい氣持ちと見返してやりたい氣持ちで、ついつい頑張り過ぎてしまっていました。

寝る前も、いつも天井を見ては悔しくて歯ぎしりしていたものです。

(今は全くないのですが、こういう「怒りの氣持ち」や「他人の評価」で

生きているうちは、病氣は治らないのですね)

 

それでも好きな事を見つけられたお蔭で何とかやってこれたと思います。

 

それでも20代は、沢山の問題を起こしてばかりでした。